僕がパリ留学を決めたのが文化服装学院の一年生の終わりのころでした。
それから2年の間、僕のパリ行きを悩ませ続けたのが、ロンドンのセントマーチン出身のデザイナーたちでした。
かれらの創るショウに魅了され、青山にあった space というセレクトショップのショウウィンドウに立っていた100万円のプードルのワンピースは、僕が始めて見た本物の洋服でした。
僕の英雄だった90年代を飾るイギリス人の一人がなくなりました。
インターネットの普及で世界が小さくなってしまい、瞬きをしている間に色々な情報がとおり過ぎていきます。
悲しいもので、その流れが止まったとき、ひと(僕)はダイジなものを思い出します。
『サヨナラからでもいいじゃないか。』
今日も忌野清志郎の声が聞こえます。
今朝、ふと読んだ sign of the times の橋本さんのブログ。
通り過ぎず、立ち止まった彼のコトバです。
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彼は、幼少期に体験した、彼自身と近しい者とに向けられた暴力行為について度々コメントしている。彼は8才のときに、姉が自分の夫(後に心臓発作で亡くなっている )に死ぬほど殴られている現場を目撃した。=中略=
「オレはまだ小さなガキで、この男が両手を姉の首に回しているのを見たんだ。オレはただ、姉の2人の子供たちと一緒につっ立ってるだけだった。そのときか ら、オレがしてきたことはすべて、女性をか弱くではなく、より力強く見せることだった。だから、みんながオレを女嫌いだと言いはじめたときは、心底ショッ クだったよ。みんなオレのことなんて分かっちゃいないんだ。誰もオレが人生で味わって来たことを知りゃしない。ファッション業界の何が嫌かって、連中はオ レのことを知りもしないで、勝手にオレにレッテルを貼りやがるってことさ。奴らは好き勝手なことを言ってるが、全く分かっちゃいない。オレはいつでも、女 性がどう扱われるかってことを表そうとしてるんだ。洋服やショーでそれを表現するのは難しいが、『女という性』にはネガティブな側面が内在していて、それ は、オレの人生で女性がどう扱われてきたかってことに由来している。オレが育った場所では、女の人は、男と出会って、結婚して、子供を産んで、ダゲナム (訳注:ロンドン東部。住宅価格が低い)に引っ越して、1階と2階に2部屋ずつの家に住み、晩メシを作って、寝る。 それが女性に対するオレのイメージ だった。でも、そんなのは良くないと思ってた。そんなイメージを頭からとっ払いたかったんだ」
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いろんな瞬間に、その人にとっての価値感だとか、イメージだとか決まっていきます。
彼の(一般的に)不幸な生い立ちは、強大な精神力とイマジネーションで、世界中の女の人を美しくし、世界中のファッションを愛する子供たちに夢を与えてくれました。
外を見ると、さっきまで雨だったのが雪に変わってます。
今年始めて見る雪です。
次に彼を思い出す時、僕はきっと、この雪の事も思い出すことでしょう。
突然の訃報、悲しいですね
返信削除それ以来、ふとした時に彼やその作品のことを考えてしまいます
90年代のコレクションで身体に欠損のある方達をモデルとして起用されていて、その体がなんて美しくみえる事かと感動したのを今でもはっきりと思い出すことができます。
じゅんさんの引かれていた記事を読んで、その洋服に込められた意味を改めて知りました
もっと作品を見たかったのになぁ
Junさん、
返信削除お誕生日おめでとうございます!
☆
今日は ベージュドットのタイを付けて
出かけてみてます。
今日からまた junさんにとって素敵なコトが
降ってくるといいですね。
★
夜には 雪になるそうです。
あたたかいヒを ∬
joinさん。
返信削除そうですね、
彼の服造り出すショーと生き様はまだまだ見ていたかったですね。。
momoeさん。
あっ、ありがとうございます、、。
まさかここで祝ってもらえるなんて思ってなかったので、嬉しいです。
新聞で彼の訃報を知ったのですが、ビックリしました。
返信削除彼の造りだす物が見れなくなるのは残念ですね。
16日が誕生日ですか?おめでとうございます。
あっ、弟と同じだ…
文化さん。
返信削除はい、誕生日でした。
ありがとうございます。
弟さんもおめでとうですね!